翌朝、目が覚めると背中と腰の痛みもほぼ消えていた。

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 しかし、尿道管や点滴の管など体には数本の管が繋がれているから、起き上がることもできない。


 そこに上司のA係長が見舞いに来てくれた。


 有り難いのは有り難いが、「流石に手術翌日は早すぎですよ。」


 と言いたかったが、そこはぐっとこらえて丁寧にお礼を述べておいた。



 この日も夜には熱が38.5℃まで上がり、喉の傷跡は引きつった痛みがした。

 妻は昼間、ずっと付き添い、夜は実家に預けた長男を引き取り、帰宅すると1歳児と二人きりの夜を過ごしていた。


 私も熱はあるものの背中の痛みは既に消えていたから、その夜はぐっすり眠ることができた。


 すると、術後2日目の朝は、気持ちよく目が覚めた。


 その日のうちに、歩いて用を足しに行くこともできた。


 手術直後こそ想像以上の痛みに苦しんだけれど、ようやく予定されていた通りの回復ペースに乗ることができた。


 1月31日、病室は過乾燥が気になったが、室温は温かく保たれていたので、屋外の寒さは実感できなかった。


 しかし、その日、寒波が鹿児島を襲っていた。


 翌2月1日は、南国鹿児島では珍しく朝から雪の一日となった。


 妻は毎日、鹿児島市の高台にある実家に長男を預けて病院へ来ていたが、この日は降雪で実家まで行くのが危険ということで長男を連れて見舞いに来てくれた。


 1歳になったばかりの長男は、既に家の中では立って歩いていたが、この日、初めて靴を履いて病院の中を歩いた。


 長男の靴を履いての初歩行が病院の床だったというのは、私にとってうれしくもあり、ちょっと残念でもある複雑な感覚の思い出となった。


 そして、その日、妻と長男が帰った後、私はベットの上である決意をした。


 今回、こうして命拾いをしたが、これから先、いつどうなるか分からない。


 私が生きた証に妻や子供に何か残してやりたい。


 それは、土地であり、家であり、マイホームで過ごした思い出だろうと思った。 


 そこで私は初めてマイホームを建てるという決意を固めた。




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